新年明けましておめでとうございます。2016年の歴史の1頁は、新たにめ
くられました。泣いても笑っても、2015年は終わったのです。新年礼拝を
迎えるに当って、この日、カレンダーが新しくなったことで、心も切り替えて
、新しくチャレンジしていくきっかけにしたいものです。この日ばかりは、共
に喜び歌いましょう。嫌なこと、辛いことは昨年までのことです。「求める心
」と「信じる心」とが一つになった時、そこに何かしら「新しい奇跡」のよう
なものが生まれてきます。「一陽来復」という言葉があります。その意味は悪
いことが続いたあとには、良いことがやってくるということです。人生、ずっ
と悪いことばかりは続かないのです。
神さまは私たちの目の届かないところにあって、ずっと私たちの行く末を心配
し、見守ってくださっているのです。決して、見捨てられ、忘れられているの
ではありません。ですから、簡単には諦めないでください。目に見える障害を
恐れて、立ちすくみ、後ずさりすることのないように、身を奮い立たせてくだ
さい。
ところで現代人たる私たちは、いま新しい一年の始まりに当り、主に向かって
新しい歌を歌うことができるでしょうか。厳しい現実のただ中にあって、「新
しい歌を主に向かって歌え」というメッセージをよく噛みしめなければなりま
せん。いったい、「新しい歌」の「新しさ」とは、どういうことなのか、何が
新しいのかと。結局、昨年とちっとも変っていないじゃないか。口先だけで、
実行できていないではないか。昨日までがそうであったように、今日も同じで
あり、明日以降も変ることもないだろう。それが、多くの人の本音なのでしょう。
「新しい」とは、なにも目新しさ、初めての経験だけを意味していません。「
温故知新」(古きをたずねて新しきを知る)という言葉にもあるように、「新
しい」ということは、いつもと同じ出来事、いつもと同じ人たちの中に、「新
たな驚きや意外性」を見出すことでもあるのです。
「主に向かって歌う」ことは、同時に「主に向かって聴け」ということでもあ
ります。主のメッセージを驚きと喜びをもって受け止めることで、新しい歌を
歌えるのです。何度もなんども繰り返すことで、ますます「新しさ」を痛感さ
せられるのです。そうすることで、私たち自身が年齢に関係なく、いついつま
でも新しくされていくのです。
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」
(新共同訳 マタイによる福音書 7章 12節)
Copyright © 日本キリスト教団甲子園二葉教会